プロフィール
佐藤幸子
北海道出身。ススキノのキャバクラでナイトワークデビュー。20歳の時に当時の彼氏(後に結婚して夫となる)と上京。だが、離婚したことをきっかけに風俗デビュー。川崎堀之内ソープランド『ヤンググループ』には、2016年4月1日に入ったが、3月までは現役ソープ嬢だった。現在は、『ヤングプラザ』で受付スタッフを務めている。
このインタビューのポイント!
- とにかく稼げた!そんな時代にソープデビュー
- 超絶厳しかった吉原高級店時代
- 講習はテクニックだけでなく“心構え”も伝授
川崎堀之内ソープランド『ヤンググループ』は、川崎駅から歩いてほどない古くからの歓楽街である堀之内町にある老舗ソープランドだ。
旗艦店の『ヤングプラザ』、そして高級店の『ラフォーレ川崎』、お姉さん世代が多い『赤とんぼ』の3店がグループ店として支え合っている。
かつては、“テクニックの堀之内”とも呼ばれるほど、技術を磨くソープ嬢が多いことでも有名だったこの地域で、佐藤さんは受付スタッフだけでなく、講習も行っている。
風俗嬢になってから、約20年。このお仕事で身を立ててきたベテランの彼女は、「私の時代はアムロちゃんが憧れの存在。当時、アートメイクをしちゃったから、今もこんなに細眉なの」と笑う。その姿は、“経験豊富で頼りになるアネゴ”だ。
とにかく稼げた!そんな時代にソープデビュー
――佐藤さんはソープの他に、どんなお仕事をされてきたんですか?
20代前半まで飲み屋で働いていました。二十歳前後にちょっと言えない紆余曲折がありまして(笑)、上京して、結婚して、色々ゴタゴタしつつ離婚して、お金がなくなっちゃったのをきっかけに風俗業界に足を踏み入れました。まず、AV行って、ヘルス行って、そして吉原に行きました。その後は、ずっとソープです。
――風俗入りしたきっかけは?
当時は、本当に大変な時期でした。元夫と別居して、家を転々としつつ、「お金を作らないと!」って必死。しかも、ちょうど離婚した頃に、父親も亡くなっちゃったんです。「ひとりぼっちになっちゃった」と、精神的な拠り所をすっかり無くしてしまった状態で……。半年くらい精神科に通っていましたよ。何かのきっかけで、風俗に入ることになったんですが、正直言って経緯についてはあまり記憶がないんです。
最初は歌舞伎町の箱ヘルに1年勤めて、その後吉原の高級店へ。総額6万で手取りは4万の店でした。
――たった数年の間にそれだけ色々あったら、大変だったでしょうね。ましてや20代前半の若い時だから、受け止めきれなくて当然ですね。
ちょっとおかしくなっちゃって、毎日酒浸りでしたね。お金もなかったから、3畳一間の下宿に住んでいたんですが、引っ越した時に、豪徳寺のリサイクルショップで、当時でも既に珍しかったチャンネルタイプのブラウン菅テレビを500円で買ったり、暖房も2000円くらいで手に入れたりしてなんとか暮らしていましたね。そんなことは覚えているんですよね。
――それにしても、90年代後半ですか。当時だと、かなり稼げたんじゃないですか?
そうですね。ヘルスでも、朝10から18時までの早番で5万円くらいは普通でした。暇でも3万円。そんな時代でしたね。
でも、ソープに行ったら桁が違いました。「今日はめっちゃくちゃ暇だったね」という日で10万円。忙しい日は1日で7本ついたから、28万円持って帰っていましたよ。
――すごいなあ。
でも、今はなーんにも残ってない(笑)。最初のうちは真面目にお金を貯めてたんだけど、だんだん着るもの、食べるもの、住むところ……贅沢するようになっちゃいまして。当時の男にベンツとセルシオを20代のうちに買ってあげたり、高級マンションに住んだりね。
だから、今、お店の女の子に言うんです。「男は裏切るけど、諭吉は裏切らないよ。金は持ってたって腐らないんだから、貯めときな!」って。
超絶厳しかった吉原高級店時代
――吉原の高級店だと色々厳しいことも多かったでしょうね。
厳しかったですね。1食1500円弁当を指定の弁当屋が持ってくるんだけど、15時に空いている人から一斉に食べるルールになっていて、タラタラ食べていたらすごい怒られましたし。お腹が空いたら用意してあるおにぎりと漬物でつなぐんですが、コンビニで何かを買ってお店に入るなんてもってのほか。ビニール袋を持って歩いてるとみっともないと叱られました。
あと、電車で帰るのも認められなかったですよ。ソープ嬢なんだからタクシーを使えと。勤務も、2勤1休だったんですが、休みの日は電話番もしていました。そんな時代でしたね。
――稼ごうという気持ちが高いから、耐えられる部分もあったのでしょうね。
プロ意識は高かったですね。高級店だから、即尺でNN(生中出し)が基本。ハイリスクハイリターンだったし、拘束時間も長かった。
だからこそ、ソープ嬢だという意識がありました。メイクもファッションも、“ソープ嬢らしく”していましたね。
――ゴージャスな格好をしてブランドバッグ持ってタクシーに颯爽と乗る姿は、女性から見ても格好いいものでした。
そのタクシーの運転手なんですが、個人的に雇っていたこともありましたよ。いつも決まった時間に、当時住んでいたマンションと店の送迎をしてもらうんです。そうすると月5万円くらい領収書が溜まるから、太いお客さんに渡すの。
――吉原もそうとう賑やかな時代だったんでしょうね。
当時は雑誌にも良く出ていたんですが、大きく出れば3ヶ月は埋まりました。表紙になったこともありますよ。
――この仕事で稼ぐぞと覚悟を決めて働いていたからこそできることですよね。
私たちの頃はソープ1本。そもそも出勤が厳しかったから、掛け持ちするような体力もなかったですし(苦笑)。
でも、今はそういう時代でもないから、いろんな女の子がいます。フツーっぽいキャストの方が売れる印象がありますね。「この子がソープ嬢なの?」って思うような清楚系のキャストが人気あったりして、昔とは変わったなぁ、と感じますね。
講習はテクニックだけでなく“心構え”も伝授
――ところで、講習ではどんなことをするんですか?
新人が来たら3時間くらい講習してデビューが基本です。内容は女の子によりけり。この仕事、何が正解で何が間違っているというのはありません。技術的な間違いもない。だから、特に経験者の場合は、その子の能力にもよりますが、いいところを生かしつつ、無駄なことは省き、仕事として洗練させていく感じですね。
――経験者の女性スタッフがいることで、キャストさんも安心する部分があるのでは?
やっぱり絶対講習を受けたくないという子もいるし、女性スタッフがいるお店は苦手という子もいます。でも「サーちゃん(=佐藤さんのこと)がいて良かった」という子も中にはいるから、そういう時は良かったなと思いますね。
――きっと経験者だからこそわかる女の子の気持ちもあるのでしょうね。特に、悩むことも多い仕事ですし……。
個室にひとりでこもっているんだから、病んで当たり前。病まない方が不思議です。悩むレベルや内容が違うだけで、それぞれみんな悩みを抱えている。だから、いつもモチベーション高くはいられないのもよくわかる。
でも、お金もらっている以上、気持ちを切り替えないといけないですよね。
とはいえ、人が人を相手にしている仕事。型にはまるものが何もないから難しい。一人ひとり個性もあるし……。
――特に、待機していてお客様がつかないと、苦しいところがあるでしょうね。
見た目もキレイなのに、なぜかお客様がつかないキャストが悩んでいると、何がいけないんだろうと私も悩んじゃいますね。
特に最近は男性も風俗に求めてるものが変わって来ている気がするし……。
でも、1つ確実に言えるのは、イチャイチャされて嫌な人はソープにはこないってこと。寂しい気持ち、優しくされたいと願っている男性が来るのだから、「とにかくお客様に触れなさい」とは言いますね。
――アドバイスすると、やはり変わりますか?
ウチの店は、アンケートを毎回絶対とるんですが、回答の内容は良くない時は、「どうした?」と女の子とコミュニケーションをとるようにしています。お客さんの意見が100%ってことはないんですが、向上していくためには、注意すべきことはしなきゃいけない。
でも、女の子の気持ちがわかるから辛いことが多いですね。「わかるわかる」って内心思いながらも、女の子に頑張ってもらわないとならないので、厳しいことも言います。
憎たらしくていってるわけじゃなく、愛情があるからこそ。ナイーブなタイプの子には、「私だって言うのも辛いんだよ」と、敢えて言うこともあります。
――気持ちの面だけでなく、体の面でも共感できることは多いでしょうね。
膣洗浄の正しいやり方や性病検査のことなどは、自分の体を守るためのものなので、丁寧に教えるようにしています。
――色々と手をかけて、売れずに悩んでいた子がお客様がつくようになると嬉しいでしょうね。
はい。最終的には、人間、やはり心です。人の心って本当にちょっとしたことで変わるもの。その辺りが面白いところでもあり、難しいところでもありますね。
――最後に夢を教えてください。
スタッフとしては、やはりお店が繁盛すること。いい女の子がたくさん働いてくれて、お客さんも賑わってくれるのが本来の目標です。
個人的には……そうですね、小さな店でいいから、気軽に飲めるようなスナックを出したいな。場所はやっぱりこの辺りかな。
- 取材・文=中山美里(@misatonakayama)